妄想インタビュー、ホテリアー妄想でお馴染みのnynyyamaの
突っ込み日記 ここだけの話



 

  
         雑感/冬のソナタ検証(2005年1月)  





昨年4月にNHKの地上波で「冬のソナタ」が放映され、一気に韓流ブームが湧き起こった。

今思うと民放ではなくNHKで放送されたのが良かったと思う。民放の場合1時間番組枠であれば、概ね放送内容は45分程度で、大幅に内容がカットされるからだ。さらにコマーシャルで中断されるほか、声優もこれほど厳選されるとは言い難いので、民放各社には申し訳ないが、公共放送であるNHKで放映されたのは本当に幸運だった。

また、このドラマを通して韓国との関係がこれほどまでに劇的に変化したことは未だかつてなかったといっていいほどで、このドラマの果たした役割は想像以上に大きかった。このことからも文化・芸能から時代を変えることは間違いないと実感した。それゆえ2004年は日韓関係に大きな変化を遂げた年だと思う。

ところで韓流ブームは一過性との見方・見解を示している専門家もいるが、私はそうではないと思っている一人だ。今までの両国の関係を見れば、これほど近い国の情報といえばせいぜい政治に関するニュースばかりで、生の韓国を伝えるものなど非常に少なかったといえよう。この点でマスコミの責任も少なからずあると思う。

その意味で韓国の芸能や日常のニュースを全くといっていいほど知らなかったことが、最近では毎日といいてよいほどに、われわれ一般市民までに流れ、目に触れるにつけ、私は韓国との関係はあの2002年の韓国との共催によるサッカー・ワールド・カップあたりから、両国との関係が少し変わってきたように思う。さらにこの「冬のソナタ」で特に我が日本では劇的に日韓関係の新たな幕開けに寄与し、牽引となったことは確かと思う。

最近、特に感じることがある。バスや電車に乗っているときに、言葉さえ喋らなければ韓国人でも中国人でも、全く外国人と見分けができないほど、日本人と似ていることである。以前ならばそれとわかる服装をしているので、ある程度予測がついたのだが、今や服装などから判断することなど困難で、不可能な状況である。そう思うと私自身の中で日本人、韓国人、中国人と区別することが一体何なのだろうと考えてしまうのである。日本人でも私がイメージする韓国人の顔に似た人がいる。逆にニュースなどで見る韓国人をどう見ても日本人にしか見えない人だっているのだ。従って、最近は私が従来抱いていたある種偏見ともとれる韓国人像は脆くも崩れ落ちてきているのは確かで、外見上からは判断がつかないというのが、正直な感想であり実感である。

そこえ持ってきて、この韓流ブームで日本に韓国ドラマが流入して、その美男・美女ぶりに圧倒されさらに解らなくなってきた。しかも、彼らは総じて私の印象では、知的で教養に溢れ、役者としての演技力の点も、残念ながら現在の日本の役者よりもあらゆる点で優っていると思うのだ。しかも、彼らは実に魅力的で何年もドラマなど観なかった私には、彼等の演技に夢中になっているのだ。こんなこと日本の役者にはついぞ感じたことはなかったことだ。

今我が日本で人気ナンバー・ワンの女優の印象はモデルやCMでは評価が高いものの演技者となるとあくまでも等身大の演技しか観られず、到底韓国の同世代の女優などとは足元にも及ばぬレベルなのだ。これは男優とて同じことが言える。

ここにきて、韓国の役者が課題になるのは言葉の壁だけだが、なまじ下手な声優を使うよりも、字幕スーパーがでれば済む話しだし、別にゴールデンタイムに韓国の役者を揃え、日本の演出、脚本でドラマも作れば多くの日本人に満足できる良質なドラマはできるはずである。

前置きが長くなってしまったが、昨年最も話題をさらった韓国ドラマ「冬のソナタ」について語りたいとう思う。多くの専門家がこのドラマの大ヒット、大ブレークに分析を試みているが、このドラマのヒットした理由とその魅力について、私なりの意見を述べたいと思う。



1.音楽とドラマとの関係

ドラマにおける音楽のかかわりについて、私のような音楽好きなものには、音楽なくしてドラマは語れないと思っている。

音楽はそれ自体で、聴き手に感動や安らぎ、或いは元気の素を与えてくれるビタミンである。しかも、音楽は映像がなくとも楽しめる。例えば、マイナー調の曲想であれば、物悲しい思いに耽る事だってできる。また、長調の曲であれば気分爽快に浸る事だってできるなど、人にはなくてはならい栄養剤なのだ。

この栄養剤がドラマに重なることによって、より感動が増すのである。「冬のソナタ」でもその場面によって、見事に使い分けられていて、その感動の場面が音楽を奏でられることによって、条件反射のように視聴者はその場面に感情移入できるように自然となっていくことを手助けしてくれているのだ。

時計の針が午後11時10分を指したとき、カラーのニュース放送からいきなり白黒の雪景色の画面が出るやいなや例の残響がかかった硬質な透明感のあるピアノの音が響き、視聴者は既にあの音楽の哀愁溢れるメロディーに感情移入されはじめ、それと同時に歌唱力のあるRYUの歌声とオーケストラの弦の響きが全体を包みこみ、オープニングから既に涙腺が緩みドラマの世界に入ってしまっているのである。これが映像だけであれば無味乾燥で以外と味気ないもので感動はうすいのだ。

音楽に日頃関心と興味のない方は、気が付いていないかもしれないが、情感豊なシーンでの音楽の持つ魔力に、知らない内にはまって一層主人公の気持ちに魅入られるように感情が増幅されるのだ。それを解って映像を観ると実に的確に視聴者の心を憎いほど掴んで表現されているのだ。

「冬のソナタ」のサウンド・トラックの中で、「初めから今まで」以外にもある有名な曲に似た曲は確かにあるのだが、そこは目くじらたてずに置いておいて、映像と音楽について考えると、人の心を打ち目頭が厚くなるロマチックな曲が十分に挿入されており非常にバランスのとれた作品と思う。しかもヒットする曲が数曲あったのは出色である。また、韓国オリジナルサウンドトラックよりもNHKで編集された方が映像にマッチングしていたことをお伝えしておきたい。

ただ、注文をつけるとしたら、劇的なシーンでこれを演出するために必ずマイナー調のピアノ・ソロが流れる所が何箇所かあるのだが、洗練されたこのドラマに全くなじまないメロディーだ。また、サンヒョクにスポットをあて、ユジンとの別れを決意したときの劇的な心情を画いたシーンとチュンサンもまた別れを決意したときに使われた情感豊な唄の入った音楽が流れるのだが、これもこのドラマのイメージに合わない違和感のあるものだ。これとは逆に、第1話で薬局から出てきたユジンがケガをしたチュンサンと会話をしているシーンのギターがメロディーをとる音楽はこの場面一箇所しかないのには非常に惜しい。あの曲を使える場面は結構あったように思うので残念でならない。





2.主役について


チェ・ジウとペ・ヨンジュンなくしてこのドラマは成り立ったか否かを考えてみると、私は成り立たなかったと結論づけたい。

例えば男優をアン・ジェウク、イ・ビョンホンやチャン・ドンゴンだとしたらどうか、或いはリュウ・シオンはどうかと並べてみても、洗練された動作、穏やかな微笑がなんともいえないあの優しい表情は、正しくペ・ヨンジュンの世界である。しかもこのドラマの主人公チュンサン、ミニヨンのキャラクターは彼の持ち味である。私は彼の他の作品も観ているので、多少は彼の演技力は理解しているが、若い20代前半から独特の世界を持っていて、何かオーラのような輝きが感じられ、このドラマでたまたま運良く当たったとは到底考えられないスターとしての資質を感じるのである。

因みに私は、「冬のソナタ」を視聴する以前は、名前は知っていたがペ・ヨンジュンなる俳優を全く知らなかった。ただ、このドラマが結構人気があることは媒体から知っていたので、興味を示すところもでいっていなかったが、チェ・ジウと一緒に写っていた写真などを見ても、何で主役がメガネをかけているのかとか、優男にしか見えない佇まいに、韓国ではこんなタイプが人気俳優なにかと不思議な印象を持った。しかしである。実際にテレビに映った彼の二枚目ぶりに、私の中ではその先入観とは違った雰囲気を醸し出す彼の演技や表情に、意外と早く白旗を揚げざるをえないものだった。

一方、チェ・ジウはといえば、涙の女王といわれ、このドラマでも彼女の持ち味が如何なく発揮されている。彼女の他の作品に比べ、ペ・ヨンジュンとの共演で韓国ドラマ特有の癖が薄まりバランスがよく、「美しき日々」、「天国の階段」、「真実」などと比較して観ると、彼女のよさが一番表れたのは本作だと思う。従って、彼女にとって最高傑作であり記念碑的な作品といえよう。

特に、高校生役を演じていたあの透明感のある顔の表情や教室でチュンサンが死んだと聞かされたときの半信半疑の表情から事実を理解した微妙な顔の表情の変化と涙がみるみるうちに潤む眼の演技には吸い込まれそうな美しさを感じるのである。また、同じ3話で、ショート・カットした髪型や婚約パーティーを忘れ10年前亡くなり今も慕いつづける運命の人チュンサンそっくりの人物を初雪の日に見かけ、無我夢中で追いかける一途な姿の演技と容姿は最高に愛おしい。

このユジン役をもし私の好きなソン・ユナが演じたらどうかと考えてみると、彼女は清楚な役は得意とするところであるが、多分チェ・ジウよりも整った美人になってしまうように思う。また、若い時から演技派女優として実年齢よりも上の大人の役柄や薄幸の女性を見事に演じ、チェ・ジウのように華やかなラブ・ロマンスのヒロイン役を演じた姿を観ていないので、清純な高校生役は私の中ではイメージが湧いてこないのだ。

ユジン役はチェ・ジウが本当にはまり役であり彼女以外にはないと断言したいと思う。個人的にはチェ・ジウの数ある出演作の中で、やはり本作ユジン役での清潔感溢れるあの顔の表情は彼女なくして想像できないし、彼女の持ち味を最も顕著に表してくれた作品がこの「冬のソナタ」である。ただ、彼女の他の作品を観ての比較でいえば、彼女の持っている他に得難いキャラクターを最大限引き出してくれたのは、ペ・ヨンジュンなくして語れないものだと思う。

その意味で本作はやはり二人の存在感が光った韓国が誇る珠玉の作品である。




3.演技が上手い


チェ・ジウにしてもペ・ヨンジュンにしても、本当に上手い役者だと思う。特に心の微妙な変化の表情や言葉の演技には、惚れ惚れするほど上手いのだ。それと高校生を演じていた二人の学生振りは見事なもので、あの雰囲気を醸し出せる演技には脱帽である。

具体的には、ペ・ヨンジュンは秀才ながら、孤独で、陰りのある高校時代のチュンサンとその対極といっても良い都会的で洗練されたインテリジェンスに富んだ爽やかな大人のミニヨンを上手く演技しているのだ。彼はその役柄により別人のような雰囲気を出せる役者なのだが、このドラマでもこの点は見事に消化され演じているのだ。チュンサンとミニヨンはいずれも女性にはもてる二枚目なのだが、この異なるキャラクターを自然な形で十二分に演じ分けられる彼の演技力に感心しきりだ。

一方、ユジンを演じたチェ・ジウは、チャキチャキでしっかり者、頭も良い現代女性の一面と一途で奥ゆかしい可愛いい女性ユジンを見事に演じた。しかも一見すると物事に動じない心の強さが垣間見えるようでいて、ガラスのように壊れそうな優しい心が同居する女性ユジンをナチュラルに演じてみせてくれるのだ。特に印象に残るのは第2話で母親との会話のシーンで、初めて異性を意識し恋する乙女の輝きの表情は何ともいえないほど初々しく演じている。また、チュウサンと喧嘩した直後山で道に迷い不安が隠せない表情と捜索にいった運命の人チュンサンに助けられたときの涙を溜めた安堵の表情はいじらしいほどに上手いと思う。このドラマで真面目なサンヒョクは見事にユジンに振り回される羽目になるのだが、決して他意があってのことではなく、女性特有の特性のようなもので、このあたりの感じを本当に憎いぐらい上手く演じてみせた。



4.詩的な会話

韓国のドラマを観ていると、実に心憎い会話や言葉の表現が出てくるのである。本作でも同様である。

その中で特に印象に残るのは、第3話でユジンが10年間密かに思いつづけていたチュンサンそっくりのミニヨンを見かけた衝撃と体が震えるときめきを綴った日記の詩的な表現や第4話で、ミニヨンがユジンに対し、どんな家を建てたいのかの問いに、知的に形の上での家ではなく、好きな人の心が家だと語っているところなど、決して難しい言葉を使うわけでもないも係わらず、人の心を打つのだ。

私などこのような文学的な素養はないので、平易な言葉で詩的に表現ができないが、全編を通じて心憎いほどの台詞を随所にちりばめてある。本作の場合脚本家二人は女性ということで、男性にはないナイーブな心地よい台詞が作られたのであろう。これがこのドラマの成功した一つの要因であったと思う。

日本人は概してシャイで、恋愛しているカップルでも、あまりこのような詩的な表現で言葉を交わすことなどまずないだろうから、余計にこのドラマで主人公二人の会話は新鮮であり、日本人のハートに響いたに違いない。その意味で、相手に自分の思いや気持ちを押し付けることなく自然かつ心に響く言葉を伝えることが、如何に人の心を打つということをこのドラマで感じたし、教えてくれた。



5.美しい景色

いいドラマには、必ずいい風景はつきものだ。このドラマでもキッチリとこれが演出されており、主人公がデートしたあの並木道はあの映像からもロマンチックな雰囲気を醸し出している。また、もう一方であの風景によってはかない恋を感じさせるなど、景色だけで涙を誘うのだ。実に心憎い演出である。また、雪景色の美しさはオープニングの白黒映像とテーマ曲で最早誰もが感情の高ぶりを押さえることができないほどに眼に焼きついたはずである。



6.ファッション・センス

本作でもペ・ヨンジュン扮するミニヨンのマフラーの巻き方は流行したようだが、確かに私のようなファッションに興味のない者でも、あの巻き方は格好いいと思う。また、ミニヨンは少し長髪で茶色に髪を染め、服装のコーディネートも良く、ここまでやると通例はキザな雰囲気に終始するものであるが、さすがにペ・ヨンジュンである。全然キザに見えないのだ。

一方、ヒロインのユジンはこれとは対照的に役柄のイメージどおり高校生のときは長い髪、成人してからはショート・カットした髪で演出し、全編を通して清潔感溢れる清楚な服装と化粧で統一されていた。また、ユジンが創立記念パーティーではじめてドレスを着るわけだが、いかにもはじめてのような雰囲気を伝えるあのぎこちないドレスの着こなしに暫し感動である。

主人公二人のファッションを対比すると普通は違和感が出るはずなのだが、心憎いほど計算されていたのか、作りすぎのイメージもなく自然な雰囲気が伝わってくるのだ。

因みに、本作でのチェ・ジウのファッション・イメージは、私ばかりか多くの男性諸氏は、あの可憐な服装センスと雰囲気に虜になっていると思う。また、チェ・ジウが演ずるユジンのような女性にめぐり合えたら本当に幸せだと思っているに違いない。そんな感じを与えるチェ・ジウの清楚な姿と着こなしの演出力は絶大だ。



7.今時の韓国が見える

以前であれば韓国の都会の景観を見れば、何十年前の日本と揶揄され恐らく洗練されていない街並みなどによってドラマに違和感があったかもしれないのだが、最早その頃に比べ隔世の感で十分に映像に違和感のない街並みを見せてくれるようになった。

だから今の韓国を伝える役割として、ドラマは格好の素材なのだ。私など韓国の今をもっと客観的に知りたいとの願望から、3年前より韓国ドラマを見始めた。率直にいって一時期経済危機がありどうかと思っていたが、これを見事に克服し再び成長過程に移行する姿を垣間見ると最早韓国の日常的風景に何の違和感を持つことはなくなったというのが正直なところである。
  
本作もその例に照らして観ていると、前述の意識を全く持つ必要がないほど今の日本と変わりなく、あくまでも作品の質、演技者の魅力に触れるだけで事足りるドラマなので、純粋に作品の良否で視聴できる典型のドラマであった。結果として、作品の出来はよく、そこに登場する俳優陣の魅力といったら、私如きでも理解できるほど素晴らしいもので、完全に韓国に対する従来の認識は、吹っ飛んだ感動ドラマであった。

因みに、昨年韓流ブームにあやかろうと作られた我が日本のドラマが放映されていたが、今時の日本も感じられず、また作品の質も出演者の演技力などどこをとっても本作「冬のソナタ」と比べること自体失礼といえいるほど、残念な作品であった。
  
  

8.声優にエールを送る

田中美里、萩原聖人のユジン、チュンサン・ミニヨンの声は私の期待を上回るキャスティングである。二人の声はチェ・ジウやペ・ヨンジュンのように低い声ではないのだが、彼らから受けるイメージにぴったりはまるのだ。さらに微妙な言い回しなどの表現力は素晴らしい。また、主役ばかりか脇を固めるサンヒョク、チェリンなども本当に彼らが日本語を話しているかのような錯覚に陥るほどで、きめ細かくキャスティングしたNHKに敬意をはらいたい。さすがである。

田中美里の素晴らしさは、例えば最終回、喫茶店のシーンでチュンサンがユジンに、サンヒョクと一緒になって欲しいと頼むところで、これを切なく囁くように拒む言葉は、チェ・ジウよりもいいのだ。(このシーンは大好きで何度観たことか。)

萩原聖人は本作に限ってはチュンサン・ミニヨンの甘い爽やかさを演出するには彼の声は本人よりもそれらしく感じるほどはまった声なのだ。これが「ホテリアー」のドンヒョクとなるとペ・ヨンジュン自身の声の方が圧倒的によく、恐らく他の作品(「愛の群像」「パパ」「愛の挨拶」等)でも同じことがいえる。

因みに、年末に放映された完全版では吹き替えなしであったが、これもまた素晴らしいものであった。こういったどちらもよいケースは極めて稀といえよう。



9.ラブシーンが爽やか

韓国ドラマのいいところは、儒教の国らしく日本のドラマと違い男女のからみのシーンが少ないこともあり、広い年齢層までカバーできることである。本作はその典型的な事例で、下は小学生から上は80歳台の老人まで実に幅広いファンを持ち、主役が飛び切りの美男・美女であり、爽やかなイメージが支配されるので、人気が出て当然といえよう。




10.このドラマは恋愛ドラマか


確かに恋愛ドラマである。ただし、いまだ恋愛ドラマなど観たくないと思っている人達や単なる恋愛ドラマと思い込んでいる人達には、このドラマの本質は違うことを伝いたいと思う。本作は恋愛よりも「愛」について語っていると思う。

本作がこれほどブレークしたのは、単なる恋愛ドラマでないからだ。家族愛や相手を思いやる心が全編を通して貫かれているからだ。ユジンとチュンサンを見ていれば、愛を相手に求めるのではなく、常に相手を思いやり、相手の負担にならないように努力する姿が克明に語られるので、多くの視聴者はその姿を自分自身に置き換えこれを投影し、多少の後悔の念や懺悔の気持ちからこのドラマの本質に共鳴していくのである。簡単にいえば心の原点回帰といったものかもしれない。

私なども青春時代の恋愛であの純粋さがあったのかと問い掛けてみると、心ときめくことは経験するも、相手の立場に立ったことなど大変疑問で、このドラマを観ると反省しきりになるのだ。恐らく私のような経験は意外と多いのではと思う。特にこのドラマでサンヒョクの行動は気の毒な面はあるものの、肝心なときに全く逆の行動をとり、相手を傷つけてしまうことを観るにつけ、大半の人がチュンサン・ミニヨン、ユジンではなくサンヒョクや友人ユジンを落とし込めたチェリンであったと推察する。

このドラマの本質は、これ以前に作られたチャン・ドンゴン主演の「LOVE−サラン」でも通ずるものがあって、主人公が本当の愛について目覚めていくのと相通ずるものがあるのだ。

かつてテレビの黎明期にアメリカのホームドラマが持てはやされた時期があった。その後アメリカではベトナム戦争以後、家族愛をテーマにした映画やドラマが作られた。韓国のドラマを観ていると、両親や目上の人、年長者を敬うシーンを良く見られるが、恐らく年々個人主義が社会に広がりはじめているのかもしれない。それ以上に我が日本は顕著なので、余計にこのドラマで隣人愛や人との営みに反省の念があるのかもしれない。

 


11.私の独り言


私は、本作を10回以上は観ているのだが、実のところ14話で止まってしまうのだ。19話も最終回の20話も大好きなのだが、なぜか14話にくるとその後を観ようとはしないのだ。このドラマが大好きな視聴者は、14話といえばミニヨンがチュンサンであることがわかる劇的なシーンがある回であることは十分承知のことだろう。

従って、私の中では、あの回が最終回のように思ってしまうのだ。確かに、最終回は、二つの場面が全体を通してもベストに数えることができるシーンがある。それは、チュンサンがユジンと喫茶店で僕のためにサンヒョクと一緒になって欲しいと頼み、これを愛おしく囁くように、「シロ(だめ)、シロ」とユジンが拒むところと、残り5分あたりのところでチュンサンがユジンと再会するシーンで、ほとんどの視聴者が涙したであろうチュンサンの例のみるみるうちに眼に涙がたまり、真っ赤に充血するあの瞳の演技に痺れるような感動を覚えるだのだが、それでも不思議なことに15話からはビデオにスイッチが入らないのだ。恐らく私の中では、14話の回でこのドラマが完結したようなのだ。だからといって15話からが面白くないといっているわけでは決してない。ただ、あの14話という回は私にとって感動が大きすぎて、以降の回は少し醒めたようになったためだ。

しかし、今日もまた懲りもせず本作「冬のソナタ」を観ているのだ。このドラマは本当に日本人の感性にあう素敵な作品だ! ペ・ヨンジュンssiとチェ・ジウssiに感謝します。感動をありがとう・・・・・。

            

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